2006年10月31日(火)
 9:00 過ぎにホテルを出る。昨日見た、高橋正治が設計した指宿“なのはな館”を見学。細部のデザインにこだわりをもって設計していることが伝わってくる。 宿泊施設やレストランなどがあるが使われている気配はない。施設運用費がかなり費やされていることだろう。  昨日、岩崎美術館の正面写真を撮影しようとしたが、車が並び、写真撮影ができなかったので、もう一度、岩崎美術館の正面写真を撮りに行く。
 その後、砂むし会館「砂楽」の砂むし温泉へ今日も行く、3日連続しての入浴である。午前中のせいか人が少ない。少ない方が気分がゆっくりできる。 3日間で4回、砂むし温泉に入ったことになる。10:00 過ぎ終了して帰途につく。指宿市でガソリンを入れるが159円/リットルと高価なので20リッターだけ入れる。 途中、道の駅を覗きながらのんびりと、帰る。16:00 自宅着


岩崎美術館(槇文彦)

なのはな館(高崎正治)



2006年10月30日(月)
 7:00 起床 錦江湾の向こうには大隈半島の稜線が見える。緩やかな曲線、険しい曲線、色んな変化のある曲線で構成された稜線が続いている。 稜線が織り成す山々の景観は対岸の大隈半島から薩摩半島を見ても同じだろう。 私が3ヶ月ほど暮らした長崎県湯江から見た風景を思い出す。3歳の誕生日を迎える頃だから2月か3月の頃だろう、 菜の花畑の向こうに有明海の海がキラキラと輝き、さらに向こうには左手から右手にかけて、普賢岳の稜線が最初は緩く、 そして徐々に険しい稜線に変化していく。黄色の畑と、キラキラ輝く海と、紫色の山とその稜線、私の記憶の風景を思い出す。 鹿児島は北九州に比べると光が柔らかい。この柔らかい光がいろんな風景の色合いを変化させている。南薩の風景は北九州にはない多様な色の変化が見られる。 このような恵まれた自然条件は人の感性を育てる時に必ず影響を与えるはずである。錦江湾を挟む南薩に育った人は他にはない感性を持っているはずである。
 9:30 ホテルを出発、まずは岩崎ホテル(旧指宿観光ホテル)にある岩崎美術館に向かう。久し振りの訪問であるがホテル敷地は閑散としている。 岩崎美術館は槇文彦が設計した美術館である。2度訪れたことがるが、前回の訪問時と空間の把握が異なる。 記憶の中ではステップアップしていく空間の規模がかなり大きかった感じであったが、今回はステップアップしていく空間はそれほど強烈には感じられなかった。 しかしながら、材料の使い方、材料を意匠としてどのように見せるかなどの詳細は目に入ってくるのである。 受付で写真撮影の許可をもらうと撮影可能なので“勉強のため”と理由を書き許可をもらった。なお、東郷青児の絵もあり、それなりの逸品が収集展示してある。
 10:30 美術館を出て山川港へ向かう。太平洋に面した“山川砂むし温泉”に入る。ここの砂むし温泉は客がおらず、貸切状態である。外洋に面しているせいか、波の音を聞きながら横になる。見えるのは水平線だけである。 波打ち際での入浴は実に趣がある。ここも10分ちょっとで砂から這い出し、砂を流して終了。
 枕崎へ向かう。枕崎の“お魚センター”で昼食。鰹のトロの刺身を味合う。その後、坊津(ぼうのつ)へ向かう。 以前訪れた時は狭い九十九折の山道の峠を越えた思い出があるが、今はカーブの無い広い道路ができている。峠を越えトンネルを抜け・・・・・オッとっとと、行き過ぎる所だった。 トンネルができており昔の面影を失っている。モータリゼーションが景観までも変えていく。坊津には人影もなく南国的な昔の面影はなくなっている。最初、この集落を訪れた時は感動を覚えたものであった。 指宿へ戻り、鹿児島出身の高橋正治が設計した指宿“なのはな館”を見学。高橋正治が設計する建築はいつみても不思議である。熊本県玉名市の玉名展望台、鹿児島県輝北天球館展望台などの作品がある。いずれの作品もこだわりを持って設計し、こだわりを持って現場管理する建築家だろう。現場では妥協しない管理の基に建築ができたであろう事は想像できる。 16:00 過ぎに、砂むし会館「砂楽」の砂むし温泉へ入る。アトピーに効くと効能書きに記されているが私のアトピーは治まりそうにない、即応性はなさそうだ。


2006年10月29日(日)
 9:30 自宅出発 13:20 鹿児島市天文館着 ラーメン屋を探すが、何度か行ったことのあるアーケード端の“こむらさき”に入る。 ラーメン屋の麺は薄い黄色が一般的であるが、このラーメン屋の麺は素麺みたいな白っぽい麺である。おまけに、モヤシではなくキャベツを刻んだものが入っている。以前入ったことのある他の薩摩ラーメンのラーメン屋はモヤシがかなり多く入っていて、結構油っぽいラーメンだった覚えがある。 で、“こむらさき”のラーメンの味はスープがあっさりしていて、下手をすると味が思い出せなくなるようなものである。
 腹ごしらえで満足した後、アーケードをブラつく。鹿児島へ来て女性を見ていつも思う事は、鹿児島の女性は沖縄の女性に似ず、沖縄を飛び越えてフィリピンの女性に近い。一方、沖縄の女性は南太平洋の、例えば、パプアニューギニア地域などの女性に似ている、と。 古代の民俗の移動は不明な点が多いが、その土地の人間がどこの土地の人間に似ているのかわ民俗学上大事なことで、例えば秋田美人ロシアの遺伝子に近いという事実があるのである。
 14:00過ぎに鹿児島市を離れ指宿へ向かい、15:30 着。さっそく“砂むし温泉”に入ることにする。今回の目的は建築の見学は言うまでもないが、“砂むし温泉”での湯治が目的の一つでもある。砂むし会館「砂楽」は指宿市が平成8年に建設し、(財)指宿温泉まちづくり公社で運営している、いわば公営の温泉館である。 “砂むし温泉”は海岸の砂地の下を熱い温泉水が流れていることから、人間が砂に入ると体内温度が50度近くまで上がると言われている。 “砂むし温泉”に入る時間の目安は10分前後と言われている。砂の上に体を横たえ、その上から砂をかけてもらうのだが、砂に入って5分もしないうちに手先、足先の血管がドク!、ドク!と波打つように響く。 背中が熱くなり汗が流れているのが判る。 10分程で砂から起き出て、温泉が入った湯壷へ向かう。砂と汗を流して終了、体が軽くなった感じである。ホテルへ向かう。ホテルでは残念ながらインターネット接続が不可である。0:00就寝


2006年10月28日(土)
 昨夜は酒をガブ飲みした訳ではないが、アルコールが入った夜は睡眠が浅く、朝、起きた時は目が充血した感じで、目にアルコールが残っているようだ。 体を動かすのがベストなので車を洗車すると目の違和感はなくなった。
 14:00 過ぎに研究室行き。昨日、3年生の幸君が来室してワークショップの進捗状況を説明してもらったので、一仕事済ませた後、 総合研究所へ向かう。彼らは総合研究所の2Fで作業をしているのである。みんなが揃ったので、作業の進め方の注意を与える。 自分が考えたことを客観的に評価して、他人の目でみること。自分が良いと思っても他人が評価しなかったら評価に値しないこと。自分が好きなように考えるのではなく、他人が何を要求しているのか?を考えること。 自分の作品や行為を客観的に評価することができれば、そこに個人の成長がある。“思いつき”ではなく、物語を展開させるように計画の中にドラマの展開を考えること。 若者たちは“好きなように考えなさい”、あるいは“好きなようにしなさい”とだけ言われて育ってきたので、“好きなこと”を考えても“思いつき”で止まってしまうのである。 “好きなようにしなさい”という教えは、親の教え、教師の教えがプログラム作りを教えてこなかった弊害を生み出している。 “好きなことをやりなさい”、というのは如何にも物分りのよさそうな言い方であるが、このような物分りのよさそうな言い方をするから若者たちは迷ってしまうのである。 プログラムを立て、系統的に思考できることを教えないといけないのである。ワークショップまで1週間もない。彼らには頑張ってもらいたい。きっと成長するはずである。


2006年10月27日(金)
 韓国の東亜大学の金教授から電話が入る。昨日も電話があり、JIAのワークショップに今からでも参加できないか、との問い合わせがあったのである。 昨日からJICAなどに宿泊の可否や一般のホテルなどの問い合わせを行っていたところであった。今日の電話で、東亜大学建築学部で話し合った結果、今回は参加を見合わせる、 ということであった。金教授とは5年以上の付き合いであるが、今年は参加の申し込みがなかったので心配していたのである。 12月に学生と来日する予定で、来日する折は電話をくれる、ということなので、その時は色んなことを話し合ったみたい。
 18:30 からステーションホテル小倉で熊本大学土木建築学科の同窓会に出席。熊本大学から建築学科の伊藤重剛先生、環境土木の尾原祐三先生が来賓として出席。 同窓会に出席すると色んな情報が得られるので楽しみである。2次会はリーガ・ロイヤルホテルの最上階のラウンジに場所を移す。伊藤先生は私が大学院生だった頃は未だ学生だったが、同じ研究室の出身で旧知の仲である。 伊藤先生は毎夏ギリシャで神殿の発掘調査をされており、ギリシャに行った時は細部まで案内してくれるとの事で、一度は発掘現場を見学してみたいと思っている。 ギリシャ神殿について色んな話を伺い、非常に楽しいひと時を過ごした。24:00過ぎに帰宅、久し振りの午前様となった。


2006年10月26日(木)
 今、各地の高校で、必須科目の西洋史を学ばせないで受験に必要な科目を学ばせていることが発覚し、高校生が卒業できないことが問題化している。 公的教育機関が予備校化しているのである。私立の中高一貫教育校が詰め込み教育をやっているように言われているが、実は、 公立高校の方が予備校化し、詰め込み教育を行っているのである。論より証拠、一貫教育の高校が今回の問題の中でクローズアップされていない。 名が挙がっている高校は公立の中堅どこの進学校ではないか。私がいつも嘆いている根源は実は今問題になっている必須科目を教えない教育や、教育が指導要綱に則したマニュアル化した教育にあるのである。
 今日、日本建築史の講義を行ったが、最近は授業の進め方を少し変えている。今は、当然知っていると思われる事でも知らない、という前提にたって細かく説明しなくてはならないのである。 いつもは、講義中の質問は皆無なのだが、今日は「先生! 一間の長さはどれくらいの長さですか?」と質問を受ける。以前だと「?」と首をかしげるのだが、今日は“?”と思うまでもなく丁寧に説明をする。 「東大生はバカになったか」立花隆著に書いてあるように、東大生は札幌から東京まで何キロあるのか知らないからバカだと、 (たしか?100km未満や5000km以上と答えた学生がいる、という話だったと思うが・・)いう旨で書かれてあったが、 東大生ばかりではない、今の若者は知っておいて当然のことを知らなさ過ぎるのである。札幌から東京まで凡そ何キロあるのか知らないのは東大生ばかりではない。 最近は知らなくても当然の時代である。若者たちに生活感が無くなっているのである。 大人たちは“当然知っているものとして”気にも止めずに話しを進めるから、 若者たちは大学の授業ばかりでなく、一歩踏み込んだ話に対しては実はチンぷんカンプンでさっぱり解らないのである。私は一間、一尺、一寸の長さを学生たちに教えたが、後で思うと、 一分の長さについて、読み方と長さを教えていなかったことに気付いた。来週補足説明しよう。この様なことは本学だけの問題ではなく、 高校が予備校化していることに裏づけされるように、義務教育や高校において、生きて行く上で必要なものを教えていないことが大きな原因であることは言うまでもない。 知らなくても当然の時代になっていることを考慮して若者たちに対応しなくてはならない、私も気を付けよう。


2006年10月25日(水)
 先週に引き継き、2時限目が卒業研究の中間発表である。今日の発表は卒業設計の発表である。4年生になってすでに6ヶ月も過ぎているのだが、 進捗状況は実に嘆かわしい状況である。常日頃、私は若者たちについて「関心も無い」、「知識も無い」、「お金も無い」の“三無し”と言っているが、 発表は正に“三無し”を露呈する結果となった。知識も吸収しようとしない、ましてや創造力を身に付けるなんてまったく念頭に無い状況では内容のある設計はできないのである。 表現力という技術はあっても、表現するモノがないと内容のある設計はできない。だが、創造力の重要性に気付いている学生は皆無である。 旅をして未知のものに触れ、感動が得られる自分でないといけない。本を読んで、考え、そして未知のものを理解できる自分にならないといけない。 若者たちは浅はかな道を転げ落ちていることに気付いていない。
 午後は日本学術振興会に提出する「科学研究費」の申請書作成に終始するが、16:30 から教室会議である。 「科学研究費」の申請書作成は実に大変で、申請書の文章を書き、経費を予算化して記し、それらを裏表にコピーし、糊付けして製本化して仕上げる。同時に、インターネットで日本学術振興会に登録しなくてはならない。 集中して作業を進め、16:30に完成し提出する。若干遅れて教室会議に出席。20:30 終了


2006年10月24日(火)
 昼休み時間に3年生が来室する。JIAのワークショップに参加している学生たちで、先日のプレ・ワークショップの報告にきたのだが、 考えている中身については聞く時間もない。だらだらと無意味に時間を費やすことだけは避けるように注意するのみ。 時間の使い方が上手くなってほしい。コンペやワークショップで勝ち抜く条件は、無駄な時間を費やすことがないようにすることが条件である。要は利口になることである。
 入れ替わりに1年生が来室する。今日は1年生のホームルームの時間で、2人だけである。2人の学生のご当地情報を仕入れる。大学のホームルームなので、今更小中学生並みにはいかないだろう。 学生のご当地情報を聞きながら、彼らが育った故郷をイメージする。2人の学生は山陰地方の出身で性格は大らかである。彼らには大らかのまま育ってもらいたいと願っている。
 昼食を摂る間もなく3時限目のチャイムが鳴る。3・4時限目は1年生の造形デザイン演習の授業である。課題は住宅の模写であるが、先々週から模写をする前に模写しようとする図面を基に模型を作っている。 模型を作ることにより造形と空間のイメージが把握できるので、模型を作ってから模写をしてもらおう、という主旨である。集中して丁寧に作っている学生もいるが、一見して雑に作っている者もいる。 以外と、中国人留学生が綺麗に作っている。聞いてみると、中国でも日本と同じように、小学校の頃はハサミしか使ったらいけないらしい。 日本人と中国人留学生の違いは刃物を使い馴れているという事でもなさそうだ、もっと精神的な社会風土の違いにありそうだ。


2006年10月23日(月)
 終日、研究室でデスクワーク、しかしながら、今日一日を振り返ってみると今日のデスクワークは何をやっていたのか判らない。 ほとんどが書類とメールの整理である。時折、学生が来室する。一年生は“デッサン室を開けてくれ”、“遊びクラブの顧問になってくれ”、“カップラーメンを食べるからお湯をくれ”、 とか些細なことばかりである。4年生は卒業設計の中間発表の準備をしているが、概要を読み上げるだけの中間発表を考えている学生もいる。 4月から始まって、もう11月、すでに7ヶ月も過ぎているのだが、エスキースはまったくと言ってもいいくらい何もやっていない。日頃、考えていることがあれば一気に進むはずだが、まったく進んでいない。 ということは、この7ヶ月何も頭の中になかった、ということである。本当は心底大声で怒鳴りたい気持ちである。いつも「卒論や卒計をやるのはオレではないから」とか、「卒業するのはオレではないからな〜!」と言ってしまう。 こうやって怒鳴らずに冷静さを保つのに精一杯である。学術振興会の科学研究費(科研費)の締め切りも迫っている。夕刻から書類を書き始めるが、いつも空振りで結果は空しく終わる。 建築意匠や建築史関係は先端技術やサイエンス関係と異なり、文系的な領域はすぐ役に立つような領域ではない。 このような領域は予算申請には極めて不利である。だがしかし、学者商売をやっている以上は予算申請は義務であり、空振りであろうともトライしていかなくてはならない。


2006年10月22日(日)
 3時のおやつに柿を食ようと思い、庭の柿をもいでいたらヒョッコリ友人の土肥君が現れる。諸々のお見舞いにやってきたとの事で、心遣いを感謝する。 リビングでしばらく歓談する。土肥君は大手建築設計事務所に勤めているのでどうしても建築の話になる。建築の話は楽しいので話を始めるとつい長くなってしまう。 一時間ほど話し込んでお帰りになった。いつも思うが学生時代の友人は有難いものである。
 我が家の食卓兼用のテーブルはノート型パソコン、新聞、鉛筆、メモ紙、それに本が無造作に置いてある。一度読んだ本は本棚に仕舞い込むのではなく、しばらくテーブルの上に置いてある。 部分的に読み返したりするためだ。10月9日に『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美 日経BP社 \1700)について書いたが、気になって読み返した要点は次のことである。
 第5章「アメリカの教育が抱える問題 −なぜアメリカの基礎教育は先進国で最低水準となったのか?」を読み返すと我が国がアメリカと同じ道筋を歩んでいることが判る。 アメリカ人の会話はフットボールの話や日常的な身の回りことだけで、ヨーロッパ人の学生に言わせると「アメリカは非文明国で、文化的に遅れている。ヨーロッパの学生はシェークスピアを読んで人間の本性について考えた。 でもビジネススクールのアメリカ人学生のうち、何人がシェークスピアを読んでいると思うか?」と問い、「アメリカ人はヨーロッパ人に比べると旅行していないから視野が狭い」  さらに「人間の価値と、その人の経済的価値は違う。でもアメリカではそれが一つになっている」と。 さらに、アメリカの公立学校は実利を重んじ、教科に娯楽性の高いものが増え、実利をもたらすスポーツや音楽の強化が図られ、算数などの基礎学科が減らされた。 そして、豊かでない層は労働に占める時間が長いせいで家族との時間も持てず、 子供は必然的にレベルの低い学校に進まざるをえなくなり、コミュニティー・カレッジ(職業教育中心の公立大学)に進むのがせいぜいで、金持ちへの道は永遠に閉ざされてしまうと。 これは格差社会の中で、裕福ではない層は必然的に職業教育の道を歩まざるをえないことを示している。 日本の大学や学生も、シェークスピアを読んで人間性を考えることなく資格取得に熱心になる傾向や、就職率何%などを謳っている大学が多いことなどを考えると、 日本の大多数の大学が技術取得、資格取得など、職業教育中心の大学へと進んでいると言わざるを得ない。 哲学や基礎学問を学ぼうとしない無関心な日本の学生たちもアメリカと同じように、行く末は格差社会の貧困層に向かうことは確かである。 アメリカと同じような格差社会ができつつあることを若者や学生たちは知ろうとはしない。



今、テーブルに載っている本

2006年10月21日(土)
 月曜日の夜にインターネットでamazon に申し込んでいた書籍が届く。最近は amazon で本を購入することが多い。 というのは、一言で言うと、手っ取り早いからだ。折尾近辺の本屋では購入しようとする本はほとんど見当たらない。小倉、あるいは 福岡へ買いに行くにしても交通費が1000円以上はかかる。それよりも仮に小倉、福岡へ出かけたとしても購入しようとする本があるとは限らない。 購入したい本が決まっていれば、一週間以内に届く訳だから、amazon に申し込むと、福岡市へ本購入に行こう、行こうと思っているうちに本が届くのである。で、今日届いた本は、 「ルノワールは無邪気に微笑む −芸術的発想のすすめ」千住博 朝日新書(新書版 \740)、「前川國男 現代との対話」松隈洋 六耀社、それに免疫についての図書である。
 で、さっそく「ルノワールは無邪気に微笑む −芸術的発想のすすめ」を読み始める。千住博はニューヨーク在住の日本画家で、 弟は音楽家の千住明、妹はヴァイオリンニストの千住真理子で、父親は経営工学の元大学教授である。千住博が説く芸術とは「オレの叫びを聞いてくれ」というようなメッセージの発信であり、 見る人、向かい合う人とのコミュニケーションだと言っている。まさしく建築も同じである。「オレの叫びを聞いてくれ」というような、“オレが考える建築はこのようなものだ”といったような自分のメッセージを発信できるかどうか、 そしてそのメッセージに対して住む人や訪れる人とコミュニケーションができるかどうかである。オタクはグループ同士で向きあいメッセージを外に向かって発信していないとして、オタクは芸術家ではないとしている。 建築も芸術も自分勝手なものであってはならないし、自分のデザインを押し付けてもいけない。ましてや、一部の人間同士で評価しあってもダメだと言っている。タイトルの“ルノワールは無邪気に微笑む”とは結びの節で、 ルノワールの絵は“すくい難いほどの無邪気な幸福感と光に満ちあふれた世界”としルノワール個人のエゴとしての「芸術のための芸術」ではないとしている。そしてルノワールは“すべての人々の心をあたたかな平安で満たす”としている。 千住博の芸術論が展開されているが、これは絵画芸術だけの問題ではなく、建築においても同じである。 この本は建築も含めて芸術のあり方や芸術家としての資質を説いているといっても良い。難しく書いてある本ではないので建築学生も気軽に読める本である。 夕方までに一揆に読み上げる。


2006年10月20日(金)
 午前中は自宅で諸事をこなす。12:00過ぎに研究室へ、15:00 企業の方が来室する。近くに用件があって立ち寄ったとの事、 旧知の仲なので世間話に花が咲く。業界も大変な世界で、毎日まいにちがサバイバル競争みたいなもので、1日たりとも気が抜けない日々を過ごしているとの事。17:00 過ぎに終了。 入れ替わりに学生が相談にやってくる。みなそれぞれ悩み事が多そうだ。 私たちが学生だった頃の悩み事は、ズバリ、色恋沙汰しかなかった。みなそのような悩みを経験して大人になったのだが、最近は色恋沙汰の悩みはほとんど聞かない。 その背景は若者たちから人に恋する、という感情が喪失してことが考えられる。建築を志す、という事と、人に恋し、人を愛する、ということは私に言わせると同列に置ける。 人に恋し、人を愛する、という感情や感性が豊かでないと、人に訴えかけ、そして人に感動を与えるような建築を設計することは不可能だと私は考えている。 話を元に戻すが、若者たちの苦しみや悩みは以前とは明らかに違っている。悩み多き若者たちには自分の人生経験を話してやるしかない。 自分の人生経験が悩んでいる若者に感動を与えることができなければ教師は失格であるとも言える。 昔の坊主は悪い事や色んな経験をした挙句、出家して坊主になったのだが、だから自分の経験をもって人を諭すことができたのである。 本当はくそ真面目な教師の存在なんて在り得ない話である。学生を勇気付けて送り出す。
 学生が帰ると、また別の学生が来室、今度は建築設計に関する話である。本当は色んな連中と色んな建築の話をしている時は実に楽しいのである。 今度は3年生の学生と読書会を計画しようかな・・・・ 20:00 過ぎに終了


2006年10月19日(木)
 最近、中国人留学生と話をする機会がある。もっとも私の方が聞くことが多いが、彼らも色んなことに答えてくれる。日本では考えられない中国社会特有のコネクションには驚かされるが、 彼らは日本でもコネクションでどうにかなる、という見方をしている。たとえば、中国でNo.1の北京大学の入学試験においてあることを、例えば東京大学などの日本でもグレイドの高い大学の入学試験においても中国社会と同じことがある、と見ている点である。 中国社会であるような話は日本では決して在り得ないことであるが、彼らにとっては信じがたい事であろう。 中国社会も格差社会が歴然として存在するが、日本社会は平等社会である、と言いたいが、日本社会でも目に見えない格差社会が存在していることだ。 格差社会は収入に反映されるのが一般的である。 一概に言えないが、例えば、親が1500万円の年収があるところの子息は年収1500万円が約束されるような企業へ就職するケースが多い。逆に、年収600万円を得る所の子息は年収600万円の企業へ就職すことが多いように思える。 年収600万円の所は、年収1500万円を稼ぐ家庭や主の実態を知らないのである。 家族の生活の中で知らず知らずのうちに、自分が育った生活のレベルの中で自分の生活環境に適している就職先を選択しているのである。 これが目に見えない格差社会の一端であり、同時に文化的豊かさとしての格差が現れていることである。利口な奴はこのような格差を認識して親とは違ったものを身に付けて上のランクで生活しようとする。 だから、勉強することによって上のクラスへ向かおうとしたのである。また、 豊かさを身に付けることで、上の生活ランクで生きようとした。だが、平等な社会であると勘違いして、何不自由なく育っている若者たちは格差社会の存在にも気が付かず、また豊かさを身につけようとはしないで生きているのである。 逆に、豊かさを身に付ける事を嫌い、拒否する者もいる。
 中国人留学生たちは技術を身に付けたいとの願望があるようだ。現に中国人留学生たちは卒業研究や3年生の研究室選びでもエンジニアリング系を選択する者が大多数であることは他大学でも同じである。 もっとも、中国社会は成長期であるから技術者の養成を急務としていることは否めない。だが、日本社会でも高度成長期においては技術の向上が先行したが、やがて技術を生み出す力、すなわち創造性の重要性が説かれるようになった。 本当に重要なことは創造性を身に付けることで、創造性は豊かさの上に存在することである。豊かさが欠落していては創造性は身に付かないのである。豊かさと創造性を身に付けると、どのような社会でも活躍できるのである。 ドイツではマイスターへの道を歩む者と大学へ進む者は明確に分かれるという。中国でも日本の町工場と同じようなマイスターの育成に力を注いでいる。日本のマイスターは町工場が激減しているように、消滅の危機にある。 建築の分野でも創造力が要求される意匠系とそれをサポートするエンジニアリング系がある。地方の大学では最近、意匠系を選択する学生が徐々に減少し、逆にエンジニアリング系を選択する学生が多くなっている傾向がある。 エンジニアリング系を選択する学生にとっても創造性は必要であるが、現実は創造性を拒否するが故にエンジニアリング系を選択している傾向がある。 しかし、東京大学では意匠系に進む者が圧倒的に多いという。この現象を見る限り、日本の若者は格差社会の中で住み分けを行い、豊かさの有無による自然選択の道を選択しているようでもある。このような現象や中国人留学生の動向を見ると、日本社会は中国社会の現状と同じような社会に後戻りしているようにも思える。 確実に日本社会は逆行しており、建築の分野では創造する立場の人間、即ち、建築を生み出す人間と、建設を担う人間のアンバランス現象を迎えようとしている。これは建築職能における教育機関の内部崩壊の危機ともいえる。建築の将来は暗雲が立ち込めていると言える。これから先の社会は技術者をそれほど多く必要とはしていないのである。 やがて、日本と中国が逆転する時が来るであろうことは容易に想像され、日本社会の空洞化は進み、格差は確実に広がっている。


2006年10月18日(水)
 10:50 から卒業研究の中間発表が始まる。私は午前中の担当で12:10まで司会を行う。今日は卒業研究だけの発表で、来週は卒業設計の発表である。 卒業研究を選択している学生が多いせいか、2時限目と3時限目の2コマの時間が割り振られている。 大方の学生は調査や実験が終了しているが、中には、10月だというのに調査や実験が未だ終了していない学生もいる。卒論の内容であるが、明らかに不勉強の内容もあり、論の設定がおかしい?と思われるものもある。 卒業研究は学生が独自にできるものではない。本人が“できたる”と言っても、できあがった内容は高校生の研究発表程度のものでしかない。 また、卒業研究が教師の指導によるものであっても、その内容が学会等で評価されるような内容であるとは限らない。学生の卒業研究は、ある時は、教師が考える実験的(試み的)な内容である場合もある。 実験的(試み的)なものを学生にやらせてトンでもない、と言う輩もいるかのしれないが、書籍に書かれている内容や、学会の論文等ですでに明らかにされている事を再び行う事などまったく意味がないのである。 最前線の研究とは試行錯誤の中で行われ、また研究者の頭の中で模索されているものであり、それは仮説的な試みでしかない。 学生が行っている卒業研究は研究の基礎的な意味があり、また、指導する教師が何を行い、何を目論んでいるのか等が垣間見えるのである。 最前線的なテーマを行っているから卒業研究を行う価値があるのである。これは卒業研究だけではなく、卒業研究でも同じことが言えるのである。 そのような意味では指導教員の力量が問われている、と言っても過言ではない。学生たちは教師の代理的役割を担ってことを感知していない学生が多いと思われる。
 15:00 から教授会、大学院研究科委員会 16:15 過ぎに終了 その後、17:00 から入試関係の会議が行われる。教師が書いたレポートを読む限り、教師は研究教育以外の仕事については責任の所在が希薄であることを思い知らされる。20:40 に終了


2006年10月17日(火)
 9:10 から大学院の講義である。昨日、急遽講義日程が送られてきたので準備はしていない。とりあえず、本を読んでレポートを書いてもらうことにした。 「建築のエッセンス」(斎藤裕著 A.D.A.EDITA出版)を読んでもらう事にした。伝統的建築から近・現代建築まで、空間論、意匠論を踏まえて書かれている。 エンジニア系の院生には適材かもしれない。建築家の斎藤裕さんは個性的な方だと聞く。また本に載せている写真は全部自分で撮影したものを使っているらしい。 だから、書かれている内容は自分の言葉で書かれたものであり、説得力のある文章と内容になっている。そのような意味で「建築のエッセンス」は良い本で、 今年、図書館に入れてもらっていた本である。書かれていることが理解できれば大したものである。良いレポートが提出されることを期待しよう。これを機会に私ももう一度読み直してみよう。
 3・4時限目は1年生の造形デザインUの演習である。住宅の模型つくりであるが、なかなか進まない。図面のコピーを始める前に、図面を見て鳥瞰図のスケッチを書き、 さらに図面を見ながら模型を作り、その後で図面のコピーをすることにしている。模型作りで気づいたことは、大型のカッターナイフを使っている学生がいることである。 小さめのカッターじゃないとスチレンボードは綺麗に切れない。また、小さいカッターを使っている学生は小まめにナイフの先を折ろうとしないことである。 スチレンボードを45°に切るとき注意を2〜3教える。作業を見ながら時々学生たちと話すのだが、学生とのコミュニケーションの時間でもある。16:20 授業終了


2006年10月16日(月)
 午前中は被扶養者確認書類を事務へ提出するために東京都文京区の区役所へ書類送付の申請願いと、ビザ延長申請のため長崎市役所へ戸籍抄本送付の申請をするために郵便局行き。 委任状を書いたり、申請書を書いたり、為替を買ったり、などで結構大変である。学生の親たちも可愛い子供のために文句も言わず動き回っているのである。親の苦労、子は知らずで、遊び呆けている学生も多いのだろう。
 14:00 から岡垣町の都市計画審議会である。議題は用途地域の変更等である。用途地域の変更は認められ、15:30 頃終了。 16:00 過ぎに研究室着 メールチェックをするが、70件以上は迷惑メールで、一つひとつのメールを確認してゴミ箱に移すのが大変である。韓国釜山大学の劉先生からメールが入っている。 共同研究で論文を書くのだが、英文でメールをやり取りしているが、数分で書けるわけではない。劉先生と数回やり取りし、他に返信メールを数本を書き、気が付くと18:00 を過ぎている。
 明後日から卒業研究の中間発表があるので4年生は少しは前向きでやっている。だが、4年生で卒業希望の学生は中間発表をしなくてはならないのだが、まったく出てこない学生がいる。 もう20歳を過ぎているのだが、精神年齢は20歳以下であろう、その証拠に自分の事なのに自分のことができないのである。困ったものである。 この数週間、研究室に来ている学生たちも、中間発表が終わったら、その翌日から自己都合の長い休暇に入るのだろう。そのようなことはするべき事ではないのは言うまでもない。コンスタントに続けていけるか否かが大人としての指標である。  


2006年10月14日(土)
 久し振りの土曜休日である。息子の理がパリで携帯電話を買ったとメールしてきているので一度は電話してみないといけない。 7:30 、パリでは23:30 である。電話をするのに良い時間である。さっそく電話したところ元気の良い返事が返ってきた。 日本人館と呼ばれる寮に入っているということで、パリ市内で学ぶ同じ大学の先輩や声楽を学ぶために留学している他の日本人留学生たちも同じ寮に入っているとのことである。 2枚の写真を分析するとマンサード屋根の3階に自分の部屋があるようにみえる。
ラ・ヴィレット建築大学( Ecole d'architecture de Paris La Villette )の話は聞けなかったが、 未だ学友やパリジェンヌの女性とは知り合っていないらしい。パリジェンヌの女性と友人になるのは、息子の理も親に似てシャイなのでかなり難しいだろう。10分ほど話をした。 電話を切った後、メールで寮の写真が送られてきた。大学寮は館(やかた)、あるいはお城のように見える。寮のある場所はル・コルビュジェ設計のスイス館やブラジル館がある“国際大学都市”の中だそうだ。 この“国際大学都市”は4年前にパリを訪れた時にスイス館やブラジル館を見学するために訪れたことがあるが、静かな広大な敷地である。 先は長いので色んな情報を知らせてくれるだろう。
 福岡市美術館で
「生誕100年 前川國男建築展」が11月5日(日)まで開催されている。前川國男はル・コルビュジェの事務所で勤務していたこともあり、また丹下健三は前川國男の事務所で修行していた時期もあった。 丹下健三と並び、日本の近代建築を築いた建築家である。私も学生時代に東京上野の森の「東京文化会館」を見学に行ったことがある。時間があれば私も行ってみよう。


パリ“国際大学都市”内の寮

2006年10月13日(金)
 午前中、自宅で開田さんの論文のチェック 3時間あまりの時間を費やす。昼すぎに研究室へ向かう。研究室で郵便物や書類の整理をしていたら開田さんが来室  14:30 になっていた。しばらく世間話をして、論文についての議論を戦わせる。 論文その1 の中で記す不明確な2編目の論点が少し明らかになった。問題点を一つずつ上げて不明な部分を明らかにし、やっと全貌が明らかになった。あとは執筆中の原稿を完成させるだけである。良い論文に仕上がることを期待したい。 17:30 終了 間髪を入れずに協議するために学生募集関係の資料をもって募集チームのチーフの部屋へ向かう。その後、入試部長を交えて議論をする。私が作成した資料は没となるが、改めて議論した戦略で臨むことになった。19:30 終了、研究室へ戻る。
 JIA のワークショップの課題に関する資料とビデオテープを韓国へ送付しなければならない。ビデオテープと資料を梱包して郵送の準備を整える。 八幡南局へ電話すると、郵便物は24時間受け付けている、というので郵送する梱包物を持って八幡南局へ向かう。20:30 国際郵便EMS の手続きを終える。来週の初めには韓国へ到着するだろう。21:00 前に自宅着、なんとなく慌しい日であった。


2006年10月12日(木)
 朝起きて、メールをチェックすると息子の理からメールが入っている。書いてあることは連絡先と金のことである。ラヴィレット建築大学での学生生活や寮については何も書かれていない。 就学ビザを取得していったにもかかわらず、パリでの滞在許可書を取得しないといけないかもしれない、書いている。フランスもアフリカからの移民や就労問題などでデリケートになっているのだろう。 4年前にパリに行った時、シャルル・ド・ゴール空港で日本人老女をフリーパスで通したフランス入管官吏の粋な計らいが思い出される。
 9:30 自宅を出て大学へ向かう。車のコンソールボックスのCD機を見ると壊れていた青ランプが付いている。 何気なくCD機のリジェクトボタンを押すと今まで出てこなかったCDが出てくるではないか!  試みにCDの再生ボタンを押すと動かなかったCDの音楽が流れる。CD機に入ったままのフィリッパ・ジョルダーノの音楽が車内に流れる。 壊れていたので修理に出そうと思っていたのだが、いつのまにか故障が直っている。暑さがおさまて涼しくなったせいでICが元に戻ったのだろうか? 往きも帰りも車内で音楽が聴ける。
 10:50 から日本建築史の講義、学生たちに天井やサッシなどを見てもらいながら、納まりについて、美と技術につて話をする。学生達はまだ夏休み気分が抜けないのか集中していない。彼らは一年中毎日がずっと休みの延長線にいるのだ。 北朝鮮から核爆弾搭載のロッケットが飛んできそうなご時世なのに平和ボケ、天然ボケの若者達である。しかし、熱心に小まめにノートを取っている学生も数多く居るのである。 午後は設計製図の指導に非常勤講師の先生が来られるが、授業終了後、久し振りに非常勤の先生と建築論を交わした。 非常勤の先生方も今時の学生の動向には心配しておられる。学生たちにとって、本当に勉強した連中こそが勝ち組として活躍できるであろう。


2006年10月11日(水)
 10:00 岡垣町建設課の課長さん以下3名が来宅、課長さんが移動で変わったことによる御挨拶と、来週の都市計画審議会の打ち合わせを兼ねての話し合いのためである。 打ち合わせ終了後の駅南地区の開発についての話に熱いものがあった。住宅併用の工場誘致、食品関係の団地、運輸関係の団地など、色んな案を出し合ったが、実現へ向けて情報収集や組織の建て直しで動くしかないだろう。 11:30 終了
 その後、車に乗って登校しようとした所、エンジンがかからない。セルモーターが動かないのである。急いで、といっても時間はかかるが充電器で充電するしかない。 約1時間半充電しエンジンをかけた所、今度はエンジンがかかった。で、原因は? 昨日は丸1日車を動かしていない。 しかし、わずか1日であってもバッテリーが放電してしまったとしたら、バッテリーの寿命であろう。車を購入して4年が過ぎているのでバッテリーは4年を経過している。交換の時期はとっくに過ぎている。このままでは今年の冬までもたないだろう。
 16:30 から教室会議 報告事項や審議事項が多い。18:00 から教室の飲み会であるが、終了したのは19:00 前、出席する予定であったが体調が思わしくないので急遽欠席させてもらうことにした。 咳は出なくなったが、目がトロンとしているのである。若干微熱があるとみてよいだろう。昨年の二の舞は踏みたくない。


2006年10月10日(火)
 今日は電車にて登校する。久し振りに折尾駅から大学まで徒歩で往復した。体調は完全ではないが体力づくりをしなくてはならない。季節も良いので週2回は電車通勤をしたい。
 3・4時限目が1年生の造形デザイン演習の授業である。住宅の模型つくりであるが、図面の見方、組立てなど頭を使わなくては模型はできない。学生たちには苦しんでほしいのである。 そうしないと旨くならないのである。授業終了後、募集関係のミーティングを行ったが、ミーティングの最中に焼き魚の臭いが漂ってくる。大学の校舎内が焼き魚の臭いに充満されている。 以前だったら尾道研究室が疑われていたが、最近では研究室で魚を焼くような面白い学生はいなくなった。考えてみると、以前はハゼを釣りに行って研究室で天ぷらを作ったり、芋を焼いたりしていた。冬場のうどん、そばは日常的に作られていた。 最近は研究室で魚を焼いたり、酒を飲むような学生はいなくなった。学生が授業が終わるとすぐにアパートへ帰りたがって研究室に居つかなくなった。ましてや、研究室から酒を飲みに行ってまた研究室に戻ってくるような勇ましい学生はいない。 それにしても、校舎内全体が焼き魚の臭いに犯されているのは問題である。強烈で度が過ぎる。


2006年10月9日(月)
 昨日は我が家の畑で芋を掘る。だが、掘った芋は全て虫に食われている。原因は色々考えられるが、畑の隅に植えた南京ハゼの木が大きくなりすぎたことが考えられる。 南京ハゼは6mの高さを超え、大きく枝を広げている。芋にとて夏場に太陽光線を必要とする時に南京ハゼの枝や葉が影をつくっている。したがって芋の生育が悪いのである。 また、畑の消毒を一度も行っていないのも原因であろう。それに、植えている芋の種類が「鳴門金時」で甘い種類の芋である。しかも多忙で畑の手入れがまったくできない。 虫が芋を食うのに条件が揃っているのである。来年こそは、南京ハゼの選定で枝を少なくして陽があたるようにし、畑の手入れを小まめにしたい。
 この連休で『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美 日経BP社)を読む。私たちが学生時代であった30数年前には「病めるアメリカ社会」が紹介され、10年もしないうちに日本もアメリカ社会と同じような病める社会になる、と警告された。 “病める社会”とは、今の日本の若者たちのように、行き場の無い若者の存在と実態そのものである。 予想よりも遅れはしたが、それから20数年後、日本もアメリカ社会と同じような病める社会になってしまった。『超・格差社会アメリカの真実』は30数年前の病めるアメリカ社会が、その後、どのような社会に変化したかを記している。 これは、ある意味では、日本社会がこれからどのように変わっていくのかを予見していると言える。著者はアメリカ社会を「特権階級」、「プロフェショナル階級」、「貧困階級」、「おちこぼれ」からなるとし、 「特権階級」と「プロフェショナル階級」が全体の5%未満で、「貧困階級」と「おちこぼれ」が95%であるとしている。 アメリカの中産階級と言われた人々は一部が「プロフェショナル階級」に、大多数が「貧困階級」におちこぼれてしまった、としている。「中産階級」とされていた人々が「貧困階級」になるのである。 実に怖い社会が到来するこが予測されるが、『超・格差社会アメリカの真実』に書かれていることは、確実に日本社会に反映され、日本社会に格差社会が到来することを予言しているのである。
 数日前の朝日新聞の投書欄に工業高校の先生の投書が載っていた。それによると、専門職としての工業高校への求人は多いが、工業の専門教育を行う工業高校は総合高校に変わり、従来の専門教育から離れ、しかも親も大学にやろうとする世相であることが書かれていた。 今や工業の現場で支えるべき人材が供給不可になりつつある社会でもある。日本の教育と人材供給の実態、それに『超・格差社会アメリカの真実』に書かれていることなどを考え合わせると、 日本でもアメリカ社会と同じように、大学を卒業した中流意識を持った大多数の人々でも95%の「貧困階級」と「おちこぼれ」階級に属する、ということが容易に予測される。
 5月24日のDiary で「下流社会」(三浦展著 光文社新書刊 780円 )を紹介した。この「下流社会」に書かれていることと、『超・格差社会アメリカの真実』に書かれているこは根は同じである。 これらの本は、勉強もせず、社会性も身に付けず、好きなことをして、好きなように生きている学生たちの将来に警鐘を鳴らしていると読み取れる。


2006年10月7日(土)
 本来ならば、10:00 から北九州市立穴生学舎でシニアカレッジの講義の予定であったが、体調が悪いことで、市職員の方が気を利かしてくださって延期になったのである。 体調は若干微熱気味で悪い。このまま講義していたとしても受講生にとって満足が得られるものではなかっただろう。体調万全で講義をしたい。しかしスッキリ治らないのが私の風邪である。気をつけないといけない。
 15:00 から北九州市立美術館でJIA(建築家協会)主催のセミナーである。韓国チームが来日する関係で責任を果たさなければならないので体調が悪くても出席しなければならない。セミナーは今年のJIA新人賞の石黒由紀氏の講演で、終了後ワークショップの課題発表がある。 石黒氏は自作の4作品を紹介しながら設計とデザインポリシーにつて述べられた。終了後、美術館のレストランでパーティーがあり、ワークショップに参加する各大学のチームの挨拶があった。本学からも尾道研究室の5人が挨拶した。 1時間ほどで終了し、場所を門司港ホテルに移して2次会が開かれた。石黒氏と話す機会があったが、長い時間をかけて議論する訳にはいかない。石黒氏は外観を意識されているように見えるが、実は内部を細かく、時間をかけてプランを詰められている。 石黒氏もふくめて、妹島和世など女性建築家の活躍が新しい動きを引き起こしている。最近の建築界では、10年前の建築の低迷から脱却して新しい潮流が渦巻いているのを感じる。学生諸君に言えることは、妹島和世など、最近の建築家の作品を研究してみる価値はある。21:30 終了



セミナー終了後、建築家の石黒由紀氏(中央)と学生たち

2006年10月6日(金)
 夜明け前、風が強くて目が覚めた。近所の木造住宅はきっとガタガタ、ユラユラ揺れているにちがいない。4:00 過ぎから5:00 頃までテレビをみながらウトウトする。 今日は講義がないので久し振りにゆっくり過ごす。午前中をゆっくり過ごすのは一月ぶりくらいだろうか。体調はまだ全快ではない。疲れが溜まっていたのだろう。 昼から登校し溜まった書類を作る。遅くとも来週初めには出したい。今月は科研費申請の書類作成も控えている。早く体調を整えたい。
 3年生が来室、明日のセミナー行きの打ち合わせである。雑談の中で感じ取ったものは、建築の将来がすでに内部崩壊の兆しにあることである。建築士や建築家を育てるべき教育機関である大学において、学生が可能性を捨てようとしている。 その背景は、教えるべきデザイン関係の科目が増えるべきであるが、エンジニアリングに関する科目があまりにも多過ぎることが、色んな意味で建築の将来を壊しているように思える。 私たちが学生時代であった頃のカリキュラムと比べてみても、今の方がはるかに開講科目は多いし、しかもエンジニアリング系の科目が多くなっているのである。建築学科のカリキュラムの中に色んな科目を入れてしまうのはもはや限界と言えよう。 本来の建築学科のカリキュラムから建築工学科のカリキュラムに近づいているのではないだろうか?もう少し、抜本的にデザインのコースとエンジニアリングのコースの教育科目を分けた方が良いのかもしれない。 いずれにしろ、今のままでは中途半端な構成になりかねない。
 明日は久し振りに若いアーキテクトの話が聴ける、楽しみである。


2006年10月5日(木)
 2時限目は日本建築史の授業である。薬師寺についてのビデオを観てもらう。月光菩薩(がっこうぼさつ)の座像がスクリーンに映しだされる。 座像は全て曲線で構成されている。切れ味の良い鋭い曲線、緩い柔らかな曲線、膨らみをもたせるように見える曲線、様々な曲線によって全体が構成されている。 建築デザインに応用できそうである、いや、応用しなければならないのである。
 今日も色んな学生が来室する。夢を見つけ、それを具体的に現実化する準備が学生の仕事である。ところが、成熟し、完成された今の時代、夢は見つからないし、たとえ見つかったとしても現実化への道程は程遠い。 今の時代も大変だが、20年後の時代はもっと大変な時代になりそうだ。確実に一歩一歩踏みしめて生きるしかない。1日、1日を充実した日にしなければならない。
 今日からNHK−BSで韓国ドラマ、ユン・ソクホ演出の「春のワルツ」が始まる。ユン・ソクホ演出の「冬のソナタ」、「秋の童話」に続く春夏秋冬シリーズである。 オープニングを見る限り、韓国が理想とする日常的なステータスが垣間見える。ユン・ソクホ演出のドラマには韓国人の夢、ステータス、など色んなものが演出されている。キャスティングは日本人を意識しているようにも見える。 このドラマも最終回まで毎週見ることになるのだろうか?ドラマの展開が楽しみである。


2006年10月4日(水)
 昨夜、ラーメン屋に入ってニンニクがたっぷり入った道産子塩ラーメンを食べた。そのせいか、今日は咳が止まっている。とは言え、完全に止まったわけではない、時折、突発的に咳は出る。突発的に出るので、喘息的でもある。
 2時限目が3年生の建築専門ゼミの時間である。学生全員が揃ったのでゼミの進め方について話をする。何も考えずに出るだけ、といった義務感だけで出席しないように注意を与える。 受動的な態度で3年生後期を過ごしてもらいたくないので、自分のことは自分でプログラムを立てて過ごしてもらいたいのである。指示待人間にはなってもらいたくないのである。
 16:00 から学内の委員会である。次回のオープンキャンパスへ向けての会議であるが、一ヶ月後に開催される予定になっている。
 北九州市の穴生学舎の担当者からシニアカレッジでの講義についての確認の電話が入った。風邪気味で体調が悪いことを伝えるが、スケジュールの変更は難しいらしい。グランドスケッチは頭の中に描いているが、明日は本格的に講義の準備をしなくてはならない。


2006年10月3日(火)
 今日も咳が止まらない。咳が出るから当然熱も出る。昨年は風邪を引いて治るまでに3ヶ月あまりを要した。昨年の咳喘息(自己診断)が脳裏をかすめる。長引かないように注意しよう。
 2級建築士講座を開いている総合資格学院の人が本学の学生を対象としてアンケート調査を行ったその調査結果を持参された。資格取得の希望は2級建築士、1級建築士、それにインテリアコーディネーターが上位にある。大多数が3年生である。 この結果をみて愕然とする。1級建築士より2級建築士が上位にあることとと、インテリアコーディネーターが入っていることである。 愕然とした理由は上記のことは言うまでもないが、大学入学時と、現在の知識が同じであること、すなわち入学時から今に至るまで新しい知識がインプットされていないことに愕然としたのである。 建築学科に入学して、建築について学ぶなかで、建築が内部空間、すなわちインテリアの領域も含み、また、建築学科の学ぶ領域が内部空間、外部空間、都市空間という人間を対象とした空間を網羅していること、 それに、建築学科の卒業生の活躍分野については自ずと知ることができるはずである。学生たちはインテリア関連の就職についての知識があるのだろうか?ましてや、インテリア関連で仕事をしている有名な企業を知っているのだろうか? おそらく、知ってはいないだろう。憧れを持って大学へ入学し、憧れを持ったまま就職を決めずに卒業していく学生が多いが、現実を知らないまま、新しい概念を身に付けないまま、憧れを持ったまま卒業していく学生が多くなったのも事実である。 学生たちにとっては現実の問題であるが、学生たちが憧れるインテリアを専門とする企業は少ないのである。 インテリアを専門とする会社はカーテン屋や壁紙などの内装材料関連の会社が多い。インテリアだけを設計する事務所は今の所、皆無と言っても良い。 学生たちはこのような事実を知っているのだろうか?住宅のインテリアについてはインテリアを含んだ設計を依頼された場合には建築士が照明器具から置物、カーテン、家具まで全て決めてしまうことが多い。 今のままでは、新しい概念と現実の社会について知識がインプットされていないので、憧れは憧れで終わってしまうだろう。
 一方、学生たちは3年後期を迎える頃には、超現実的な選択をするように見える。すなわち、デザインを捨て技術を学ぼうとする方向転向者が多くなるようになる。 3年も半ばになるとデザインができなくなる、もっともこの原因も新しい知識がインプットされていないことに起因するのだが・・・・技術の方が学び易いのである。つまり、技術を学ぶ方が「手がかり」、「足がかり」があるから学び易いのである。 それに対し、デザインの領域は芸術、技術、感性を総合的に捉えたもので、1000人がいたら1000のデザインが存在するように、足がかかりも手がかりもない。端的に言えば、デザインはデザインする人の知的表現であるので、知的なものが無ければ表現しようも無いし、知的デザインはできないのである。 本当は技術も学ばなければならないが、それよりも、モノを創り出す能力を身に付け、モノを創るために技術を駆使するのである。技術を駆使するのは創造力である。創造力がなければ使われる立場になるだけである。 技術は創造性と無関係に存在するのではない。学生たちはこの事実を認識しているのだろうか?中国人の留学生たちも技術を学ぼうとする。中国ではソフトよりもハードが先行しているのだろうか?そんな事は決して在り得ない。


2006年10月2日(月)
 先週からずっと風邪で体調が悪い。週末からだんだん悪くなり、今日は咳が出るようになった。若干熱があるのだろう、目の焦点が定かではない。いつものことながら、一度、風邪をひくとなかなか治らない。 昼過ぎに研究室宛のメールをチェックをする。建築学科では1・2年生については副担任制を取っているが、私が担当する1年生の学生たちが私に提出した履修届けを教務課へ未だ出していないことが判った。履修届けが出ていないとするならば、学生に迷惑がかかる。 大学へ行って提出しなければならない。
 履修届けを教務課へ出し、諸々の雑用を済ませる。韓国からJIA のワークショップ参加者リストが届いている。これもJIA へ転送する。JIA のワークショップまで1ヶ月となった、3年生には頑張ってもらうことになる。 17:30 に研究室を出て帰宅の途につく。早く体調を戻さなくてはならない。